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関西学院グリークラブ デジタル資料館
"Haus Bötzingen"
■ 関西学院グリークラブの歩み
1889(明治22)年
神戸・原田の森にて関西学院創立。アメリカ人宣教師ウォルター・ラッセル・ランバスが初代院長に就任。授業はほとんど英語で行われた。
1899(明治32)年
生徒達による歌のグループが誕生、吉岡美國(第2代)院長 の義妹岡島まさに指導を依頼。英語の賛美歌を男声4部合唱で歌う(関西学院本館講堂)。
1900(明治33)年
歌のグループは吉岡院長により「関西学院グリークラブ」と命名される。第5回英語会に おいて学院初のカレッジソング「Old Kwansei」を初演(関西学院本館講堂)。
1901(明治34)年
第6回英語会で再び「Old Kwansei」を演奏。聞いていた生徒たちも唱和。
1902(明治35)年
山田耕作が入部。カルテットも組むなど積極的に活動。後に耕筰に改名、日本を代表する作曲家として活躍し、関西学院の校歌「空の翼」「緑濃き甲山」「A Song for Kwansei」などの作曲も手掛ける。
1903(明治36)年
神戸中央教会や神港倶楽部などでの慈善音楽会に出演、対外演奏を始める。
1904(明治37)年
新築されたブランチ・メモリアル・チャペル(現神戸文学館)で行われた第9回英語会で演奏。
1905(明治38)年
指導を受けていたウェンライト普通学部長夫人が帰国。
1909(明治42)年
関西学院創立20周年記念祝賀会で演奏。
1910(明治43)年
OBの山田耕筰がドイツ留学前に来校、チェロ演奏と講演を行う。
1912(明治45大正元)年
高等学部開設、初代学部長ベーツが「Mastery for Service」を提唱。後に関西学院全体のスクールモットーとなる。
高等学部グリークラブが誕生。
1913(大正2)年
岡島まさ米国から帰国。グリークラブの指導を再開。
1914(大正3)年
「150名コーラス」出演、カルテットが好評(大阪青年会館)。
関西学院創立25周年記念式出演。
1915(大正4)年
普通学部が中学部に改称。この頃から高等学部グリークラブ単独での活動が増え、関西学院グリークラブの名が継承される。
高等学部英語会が開催して毎年出演している語学大会に出演(神戸青年会館)、翌日の新聞記事で賞賛を受ける。
1916(大正5)年
神戸市内各学校学生教職員及有志聯合大音楽会出演(神戸YMCA)。
大阪、京都などでも演奏、京阪神の音楽関係者の注目を集める。
由木康入部。後に「きよしこの夜」など讃美歌作家としても著名な牧師として活躍、校歌「緑濃き甲山」も作詞。
1917(大正6)年
初代顧問にグリークラブOBの畑歓三教授が就任。部内では初めて担当別責任者を決めて運営にあたる。
津川主一入部。後に教会音楽家・合唱指揮者としても著名な牧師として活躍。
1918(大正7)年
初代(学生)指揮者に最上級生の岩崎愛二を選ぶ。
新渡戸稲造講演会で演奏(関西学院内チャペル)。
グリークラブ主催による第1回歌の夕開催。
第1次世界大戦休戦祝賀会に参列、神戸市内の各国の領事館前でそれぞれの国歌を歌う。
1919(大正8)年
第2回歌の夕(日本メソジスト神戸中央教会)、第3回歌の夕(関西学院高等学部講堂)開催。
神戸滞在中のチェコ軍隊員と複数回にわたり交流を深める。「ウボイ」などの楽譜を譲り受け、送別会で演奏。
グリークラブのバインダーを制作。デザインは現在まで継承されている。
1920(大正9)年
初の演奏旅行を実施。金沢、軽井沢、長野、甲府、東京、名古屋など東日本各地で15日間で12公演。
第1回曲目発表演奏会を開催(神戸女学院講堂)、グリークラブ史上最初のリサイタル。
1921(大正10)年
西日本各地へ演奏旅行。高知、岡山、広島、山口、福岡、長崎、大分、愛媛、三重など西日本各県で演奏会。以降も演奏旅行はほぼ毎年行っている。
関西学生聯合大演奏会出演。聴衆は3000人(大阪・ 中之島公会堂)。
1922(大正11)年
新築の中央講堂にパイプオルガンを設置するための資金を集めるため、神戸YMCA、京都・岡崎公会堂、大阪・中之島中央公会堂で演奏会を開催。
1923(大正12)年
関東大震災の被災者救護活動に部員全員が参加。
1924(大正13)年
関西学院創立35周年記念学生大音楽会出演(関西学院中央講堂)。
1925(大正14)年
グリークラブOB有志が初めて独自のステージで演奏(関西学院中央講堂)。
初のラジオ放送出演(大阪朝日新聞社放送室)。
グリークラブOBの河辺満甕教授、顧問に就任。
宝塚少女歌劇団の須藤五郎を指揮者として招聘、浜松、名古屋、淡路島の演奏会も同行。
1926(大正15昭和元)年
大阪で初のリサイタルとなる第1回曲目発表演奏会開催(三木楽器店ホール)。
1927(昭和2)年
日本放送協会大阪中央放送局(JOBK)にてラジオ出演。ゴールデンアワーの生放送。
第2回曲目発表音楽会開催(神戸YMCA)。
明治節制定記念音楽会(関西専門学校学生大音楽会)に出演。前年完成した大阪・朝日会館にて。
Music Olympic Game of Chorus出場(宝塚大劇場)。
1928(昭和3)年
新国劇の宗教劇「キリスト」に特別出演、賛美歌を歌う(大阪・浪花座)。賀川豊彦の紹 介による。
ビクターレコードで初の吹込み(レコーディング)。「野ばらの花」「オールド関西」の2曲、翌年1月発売。
1929(昭和4)年
関西学院が西宮上ケ原に移転 。グリークラブの活動拠点も神戸から西宮へと移る。
日本放送協会大阪中央放送局(JOBK)にて、3年連続でラジオ出演。
1930(昭和5)年
3年ぶりのリサイタルとなる第3回曲目発表音楽会開催(神戸YMCA)。
グリークラブOBの大道安次郎教授、顧問に就任。
演奏旅行、臼杵(大分)、鹿児島、熊本で演奏。
井筒長治郎マネジャーが「Mental Harmony」を提唱。グリークラブのモットーとして現在まで継承されている。
大道顧問が提唱し、大阪音楽大学の長井斉教授と相談した結果、関西学生合唱聯盟が発足。
1931(昭和6)年
第1回関西学生合唱聯盟音楽会を開催、長井斉が合同合唱を指揮(大阪・朝日会館)。同志社グリークラブなどと共演。
第4回曲目発表音楽会開催(神戸YMCA大講堂)。
初の合宿で和歌山県白浜へ。最後の夜は練習を行った白浜小学校で演奏会。
慶應ワグネル・ソサィエティーと初の交歓演奏会。大盛況と新聞各紙報じる(慶應大ホール)。
1932(昭和7)年
第5回曲目発表会開催(神戸YMCA)。ペナントを新調。
林雄一郎が(学生)指揮者に選ばれる。後に長く技術顧問を務め純正調和音を追求、「関学トーン」を確立する。
関西学院大学昇格記念祭で演奏(関西学院中央講堂)。
1933(昭和8)年
第6回曲目発表大音楽会開催(兵庫県会議事堂)。
第2回関西合唱競演会に初出場し、優勝(大阪市中央公会堂)。
校歌「空の翼」発表。作曲者の山田耕筰が歌唱指導しグリークラブがリード(関西学院中央講堂)。
第7回競演合唱祭に初出場し、初優勝。林雄一郎(学生)指揮で選択曲はシューベルト「Die Nacht」(東京・日比谷公会堂)。
1934(昭和9)年
第7回曲目発表音楽会開催(神戸YMCA)。
OB団体として新月会が誕生、週1回の練習を始める。
第8回競演合唱祭で優勝、2連勝。選択曲「野ばらの花」(東京・日比谷公会堂)。
1935(昭和10)年
第8回曲目発表音楽会開催(旧関西学院中央講堂)。メンデルスゾーンの夕と銘打ち全曲をメンデルスゾーンの作品とした。新月会合唱団が初出演。
山田耕筰作曲・指揮の歌劇「黒船」に出演、藤原義江らと共演。初の本格的なオ ペラ出演であった(大阪・朝日会館)。
第9回競演合唱祭で3連勝達成。選択曲「ウボイ」(東京・日比谷公会堂)。
1936(昭和11)年
第9回曲目発表音楽会、合唱祭3年 連続優勝記念として開催(神戸海員会館)。
関西学院逍遥歌、応援歌(いずれも竹友藻風作詩、大沢寿人作曲)発表演奏会で歌唱指導(関西学院中央講堂)。
1937(昭和12)年
第10回リサイタル開催(曲目発表会をリサイタルと改称)。津川主一指揮でシューベルト「ドイツミサ」全曲演奏(神戸海員会館)。
ヘレンケラー講演会で演奏(関西学院中央講堂)。
大沢寿人作曲指揮交響大演奏会に出演(大阪・朝日会館)。
1938(昭和13)年
第11回リサイタル開催。戦時色が濃くなり、ペナントに代わり日の丸を掲揚。「君が代」「愛国行進曲」演奏(神戸海員会館)。
畑歓三教授、再び顧問に、神崎驥一商経学部長は名誉顧問に。いずれもグリークラブOB。
全関西合唱聯盟結成記念愛国大合唱祭出演、合同演奏の指揮は山田耕筰、長井斉(大阪市中央公会堂)。
1939(昭和14)年
第12回リサイタル開催。「宗教音楽の夕」と名付け、宗教曲のみを演奏(神戸海員会館)。
関西学院創立50周年記念式で校歌「緑濃き甲山」、「関西学院頌歌」を初演発表。ともに山田耕筰作曲(関西学院中央講堂)。
大阪、神戸でグリークラブ主催の関西学院創立50周年記念音楽会開催。山田耕筰が激励に訪れる(大阪・朝日会館/神戸海員会館)。
1940(昭和15)年
第13回リサイタル開催。戦前最後のリサイタルとなる(神戸海員会館)。
学院出身戦死者第3回慰霊祭で「海ゆかば」を演奏(関西学院中央講堂)。
作曲者である山田耕筰の指揮で新校歌「緑濃き甲山」「関西学院頌歌」などを演奏(大阪・朝日会館)。
関西学院グリークラブ40年部史発行。題字は山田耕筰による。
1941(昭和16)年
戦時色が濃くなり、リサイタルを中止。英語の使用が憚られるようになり、グリークラブは合唱班と改名、黒人霊歌「Keep in the Middle of the Lord」は「桃太郎」と替え歌で演奏。新月会会員は召集を受けて続々と戦地へ。
コロムビアにてレコーディングのため上京。「緑濃き甲山」「関西学院行進曲」の2曲。
1942(昭和17)年
関西楽壇人大演奏会、第15回明治節奉祝愛国大合唱の夕出演(いずれも大阪・朝日会館)。
第5回学院出身戦没者慰霊祭にて「海ゆかば」演奏(関西学院中央講堂)。
愛唱曲32曲を集めた「思ヒ出ノ合唱曲集」発行。
1943(昭和18)年
リサイタルに代わる戦中最大の合唱音楽会を開催(大阪・朝日会館)。
7年ぶりに高知に演奏旅行。
学徒出陣壮行音楽会に出演(大阪・軍人会館)。
上級生の多くが出征。戦場へ赴く部員を残るメンバーが駅のホームに集まって見送り、最後は必ず「U BoJ!」「海ゆかば」を共に合唱する。
1944(昭和19)年
第15回学徒報国合唱大会出演(大阪・朝日会館)。
上級生の入隊でメンバー減少。残るメンバーも勤労動員の合間をぬって練習に励む。
中央講堂内の部室にあったペナント、40年部史、バインダーなど重要な資料をOBの借りた蔵へ疎開させる。
1945(昭和20)年
OB1名含む4人で慰問演奏会に出演。空襲警報発令で中断も最後の「ウボイ」まで演奏(松下電器門真工場)。防空壕で練習も。
終戦後の初練習で戦時中歌えなかった「Old Kwansei」を歌う。
関西学院文化祭に出演(大阪・朝日会館)。
1946(昭和21)年
戦後初のラジオ放送出演(大阪中央放送局)。米軍キャンプでの礼拝サービス、慰問演奏などで多忙を極める。
関西合唱聯盟創立記念合唱大会に出演(大阪・朝日会館)。
第1回関西合唱コンクールに出場、優勝(大阪・朝日会館)。
1947(昭和22)年
7年ぶりにリサイタルを開催(日本基督教団神戸栄光教会)、以後現在まで毎年続く。
関西学院中学部グリークラブ(新制)誕生。
第1回家庭音楽会を新月会と共催(関西学院大学予科チャペル)、中学部グリークラブも出演。
小豆島へ演奏旅行。以後全国各地へ演奏旅行が再開。
A.P.マッケンジー教授、顧問就任。
1948(昭和23)年
第15回リサイタル開催(神戸・親和高等女学校)。
関西学院高等部グリークラブ誕生。長井斉が関西学院高等部音楽教諭に就任、1961年まで在職。
第1回全日本合唱コンクール一般の部に新月会と共に出場し優勝。課題曲清水脩「秋のピエロ」、自由曲デュオパ「Kyrie」(東京・神田共立講堂)。
大阪府・市より芸術祭賞受賞。大阪市中央公会堂で授賞式。
1949(昭和24)年
第16回リサイタル開催、「Messe Solennelle」(A.Duhaupas作曲)全曲演奏、本邦初演(神戸聚楽館)。
関西学院グリークラブ50周年記念合唱音楽会開催(大阪・北野劇場)。
新校歌「A Song for Kwansei」(Edmund Blunden作詞、山田耕筰作曲)発表演奏(関西学院中央講堂)。
第2回全日本合唱コンクールで優勝(大阪・朝日会館)。
オーケストラ伴奏による「Messiah」(G.Händel作曲)に初出演、大沢寿人指揮(大阪・朝日会館)。
1950(昭和25)年
第17回リサイタル開催(日本基督教団神戸栄光教会)。プログラム表紙は関西学院OBで詩人の竹中郁のデザイン。
第3回全日本合唱コンクールで優勝(東京・日比 谷公会堂)。
早稲田大学グリークラブと初の第1回合同演奏会(早稲田大学大隈講堂)。
1951(昭和26)年
第18回リサイタル開催(西宮・日芸会館)。プログラムの表紙絵は関西学院OBで画家の吉原治良による。
山田耕筰楽業50年記念大音楽会出演、「からたちの花」の指導を本人から受ける(大阪・朝日会館)。
第19回リサイタル開催(大阪・朝日会館)。年2回のリサイタルは異例。プログラムの表紙は画家の小磯良平がデザイン。
京都大学合唱団と交歓演奏会を開催。京大の指揮者(学生)は後に作曲家となる多田武彦氏(京都大学吉田分校講堂)。
第4回全日本合唱コンクール、現役部員のみで大学の部に出演、優勝(東京・日比谷公会堂)。以後大学の部で出演を続ける。
1952(昭和27)年
第20回リサイタル、初めて神戸・大阪両都市で開催(大阪女学院/神戸山手学園)。
畑歓三教授、3度目の顧問就任。
早稲田大学音楽協会グリークラブ、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー、同志社グリークラブと「東西4大学合唱音楽会」開催(同志社大学栄光館/大阪産経会館)。後に「東西四大学合唱演奏会」と改称、現在に至る。
第5回全日本合唱コンクールで優勝(大阪市中央公会堂)。
1953(昭和28)年
第21回リサイタル開催、1日2回公演(大阪・産経会館)。プログラムの表紙は画家の高橋五郎がデザイン。
D.C.スタッブス教授、顧問就任。
21日間の演奏旅行、史上初めて北海道で演奏会。
東西四大学合唱音楽会。第2回は東京開催で2回公演(日本青年館)。以後、東京と関西で毎年交互に開催する形で現在に至る。
第6回全日本合唱コンクールで第1回から6年連続となる優勝(仙台市レジャーセンター)。北村協一(学生)指揮。
1954(昭和29)年
第22回リサイタル開催。(神戸・山手女子学園/大阪女学院)。プログラム表紙が再び小磯良平画伯のデザインとなり、以降1968年のリサイタルまで15回続く。
アメリカのプロ合唱団de Paurと交歓会開催(新大阪ホテル)。
東京での初の本格的な演奏会、明仁皇太子殿下(後の平成天皇)ご臨席(第一生命ホール)。
第7回全日本合唱コンクールは、前年まで6連勝達成のため招待演奏となり、審査対象外(小倉市立体育館)。
1955(昭和30)年
第23回リサイタル開催(大阪・産経会館/神戸海員会館)。
第8回全日本合唱コンクールで優勝(名古屋市金山体育館)。
1956(昭和31)年
第24回リサイタル開催(宝塚大劇場)。
長井斉合唱生活40周年記念演奏会出演(大阪・産経会館)。
笹森四郎教授、顧問就任。
第9回全日本合唱コンクールで優勝(東京都体育館)。招待演奏含め、第1回より9年連続の栄誉。高校の部で高等部グリークラブが優勝。
1957(昭和32)年
第25回リサイタル開催(宝塚大劇場)。
カリフォルニア大学グリークラブ演奏会に賛助出演(大阪府立体育会館/神戸国際会館)。
第12回関西合唱コンクールで2位、初めて全国大会出場 を逃す(尼崎文化会館)。高等部グリークラブは2年連続の全国大会優勝。
1958(昭和33)年
大阪テレビ「ニューイヤー・コンサート」でテレビ初出演。
第26回リサイタ ル開催(大阪・産経会館/神戸国際会館)。
北海道演奏旅行を機に、衣装として白背広を新調。
第11回全日本合唱コンクールで優勝(郡山市民会館)。一般の部で新月会が優勝。
1959(昭和34)年
第27回リサイタル、多田武彦作曲「中勘助の詩から」委嘱初演(神戸国際会館)、大阪公演をフェスティバルホール(3,000席)で初開催。
関西学院グリークラブ60周年記念事業で「関西学院グリークラブ・男声合唱曲集」(第1集)発行。
関西学院グリークラブ60周年記念音楽会開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
学生会館が完成、部室を中央講堂から移転。
関西学院創立70周年記念文化祭出演(フェスティバルホール)。
第12回全日本合唱コンクールで2位。新月会は一般の部で2年連続優勝(札幌市民会館)。
1960(昭和35)年
第28回リサイタル開催。多田武彦作曲「雪明りの路」委嘱初演(大阪・毎日ホール/神戸国際会館)。
山田耕筰作曲オペラ「黒船」に3日間出演、指揮は山田耕筰 と朝比奈隆(フェスティバルホール)。
東京リサイタル開催(神田共立講堂)。「雪明りの路」作詩の伊藤整、作曲の多田武彦が揃って来場。
第13回全日本合唱コンクールで優勝。新月会は一般の部2位(福岡市電気ホール)。
1961(昭和36)年
第29回リサイタル開催。多田武彦作曲「航海詩集」委嘱初演(大阪・毎日ホール/神戸国際会館)。
新月会初のリサイタルに出演(大阪・毎日ホール)。
ハーバード・グリークラブ来日公演で賛助出演(大阪・朝日会館)。
第14回全日本合唱コンクールで優勝(名古屋市公会堂)。
同志社グリークラブと第1回交歓演奏会開催。1999年まで不定期ながら続く。
1962(昭和37)年
第30回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
専任指揮者として北村協一(1954年卒OB)招聘を決定。後に常任指揮者、技術顧問を務め、2006年まで指導を続ける。
中村義春を招きボイストレーニングを開始。
第15回全日本合唱コンクールで優勝(東京文化会館)。
1963(昭和38)年
初の海外演奏旅行で台湾へ(12日間)。
第16回全日本合唱コンクールで招待演奏(京都会館第一ホール)。
1964(昭和39)年
第32回リサイタル開催(神戸国際会館/大阪フェスティバルホール)。
激論の末、コンクール不出場を決定。全国大会第1回~前年16回までの実績は、優勝12回、2位1回、招待演奏2回。
第13回東西四大学合唱演奏会、関西学院グリークラブ単独演奏では初めてプロの指揮者・北村協一が指揮(フェスティバルホール)。
林雄一郎合唱生活35年記念音楽会出演(フェスティバルホール)。
新月会創立30周年記念リサイタル出演(フェスティバルホール)。
第1回関西六大学合唱演奏会開催(京都会館第一ホール)。神戸、関西、同志社、京都、立命館の各大学男声合唱団と。
1965(昭和40)年
第33回リサイタル開催。多田武彦作曲「白き花鳥図」委嘱初演(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
イェール大学グリークラブと交流会(関西学院大学キ ャンパス内)。
第1回関西学院グリークラブフェスティバル開催(毎日ホール)、中高大各グリークラブと新月会が総出演。現在に至る。
初の米国演奏旅行(33日間)。第1回世界大学合唱祭にアジア代表として出場(ニューヨーク・リンカーンセンター)。
兵庫県文化賞、西宮市文化功労章を受賞。
1966(昭和41)年
第34回リサイタル開催。関西学院グリークラブ単独での出演となる(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
山田耕筰追悼演奏会出演(フェスティバルホール)。
1967(昭和42)年
第35回リサイタル開催(フェスティバルホール/神戸国際会館)。客演指揮者に声楽家の畑中良輔を迎え、以後1992年までほぼ毎年出演。
片山正直教授、顧問就任。
ミシガン大学グリークラブ演奏会、ハーバード・グリークラブ-ラドクリフ合唱団の演奏会を相次いで主催、賛助出演(フェスティバルホールなど)。部員やOB宅に分宿。
第4回同関交歓演奏会で多田武彦作曲「中原中也の詩から」委嘱初演(フェスティバルホール)。
わが国初の大規模な合唱レコードアルバム「日本の合唱」(日本ビクター)収録のため、「柳河風俗詩」(北村協一指揮)、「枯木と太陽の歌」(福永陽一郎指揮、同志社グリークラブと合同)レコーディング(西宮市民会館)。
1968(昭和43)年
第36回リサイタル、初の3都市開催(東京厚生年金会館/神戸国際会館/フェスティバルホール)。
延世大学合唱団との合同演奏会、ダークダックスリサイタル、 ミュンスター大学マドリガル合唱団演奏会などに相次いで出演。
学園紛争のため大学卒業式が中止となる。
大久保昭男、ヴォイストレーナーに就任。以後2005年まで指導。
1969(昭和44)年
第37回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。パンフレットの表紙画、同窓の画家石阪春生の作品に。2020年まで続く。
学園紛争が激化。学内での練習が不可能となる。
清水脩作曲「アイヌのウポポ」、多田武彦作曲「雨」レコーディング(北村協一指揮)。
延世大学合唱団ジョイントコンサート開催(大阪女学院講堂)。
関西学院グリークラブ70周年記念演奏会開催(フェスティバルホール)。
1970(昭和45)年
第38回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
日本万国博覧会、カナダ館で演奏。開会式、「万国博同窓会」に新月会が出演。
来日したポルトガルのコインブラ大学合唱団と交歓。
韓国演奏旅行(6日間)。延世大学の招待による。
1971(昭和46)年
第39回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
韓国の延世大学コンサートクワイアー来日公演賛助出演(大阪厚生年金会館中ホール)。
多田武彦作曲「中勘助の詩から」、南安雄作曲「子供の詩」レコーディング。
70周年記念事業でキャンパス内に専用練習場グリークラブホールが竣工。
1972(昭和47)年
第40回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。40回を記念し、新月会と合同で「Tannhäuser」(R.Wagner作曲、福永陽一郎編曲)を畑中良輔指揮で演奏。
東山正芳教授、顧問就任。
水谷央追悼音楽会出演(神戸市民小ホール)。
「高槻市中学生のための演奏会」(高槻市民会館)、「兵庫県芸術祭第九演奏会」(神戸国際会館大ホール他、山田一雄指揮)それぞれ3日ずつ出演。
第21回東西四大学合唱演奏会、大阪・京都で2公演開催(京都会館第一ホール/フェスティバルホール)。
1973(昭和48)年
第41回リサイタル開催(神戸国際会館/大阪厚生年金会館大ホール)。
欧州演奏旅行(36日間)。ポルトガルで第1回ヨーロッパ国際大学合唱祭に日本代表として 出場。スペイン、フランス、オランダ、イギリス、西ドイツで演奏。
1974(昭和49)年
第42回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
今田寛教授、顧問就任。
京都市交響楽団マーラー第2番「復活」出演(神戸国際会館大ホール/京都会館大ホール、山田一雄指揮)。
新月会40周年記念リサイタル出演(毎日ホール)。
3度目の第1回関西六大学合唱演奏会(大阪厚生年金会館大ホール)。同志社、関西、立命館、甲南、大阪各大学と。2002年まで続く。
兵庫県芸術祭第九シンフォニーの夕べ出演(神戸国際会館/加古川市民会館、朝比奈隆指揮)。
1975(昭和50)年
第43回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。多田武彦作曲「尾崎喜八の詩から」委嘱初演、ミュージカル「ヘアー」はTシャツにGパン姿で踊る。客席から手拍子も。
多田武彦作曲「雪明りの路」(福永陽一郎指揮)、松下真一作曲交響幻想曲「淀川」(朝比奈隆指揮)レコーディング。
兵庫県芸術祭第九演奏会出演(神戸国際会館、朝比奈隆指揮)。
1976(昭和51)年
第44回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
「グリークラブアルバム」レコーディング(北村協一指揮)。
豪州演奏旅行(19日間)。ブリスベン、シドニー、メルボルン等で演奏。オーストラリア青少年音楽祭出演。
関西合唱連盟より長井賞受賞。
1977(昭和52)年
第45回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
「関西学院校歌集」レコーディング(北村協一指揮)。
朝日放送ラジオ、NHK(テレビ)、朝日放送(テレビ)等の番組出演相次ぐ。
新月会、東西4大学OB合唱連盟第1回演奏会開催、出演(東京・九段会館)。
大阪フィルハーモニー交響楽団「ウィンナワルツの夕べ」出演(フェスティバルホール)。
1978(昭和53)年
第46回リサイタル開催(神戸国際会館/フェスティバルホール)。
「グリークラブアルバム」(北村協一指揮)、阪急ブレーブス応援歌「若い阪急」レコーディング。
第27回東西四大学合唱演奏会にて新実徳英作曲「ことばあそびうたⅡ」委嘱初演(フェスティバルホール)。
海外演奏旅行(28日間)。シンガポールで演奏会。イギリス・アバディーンで国際青少年音楽祭に出演、ロンドンなどでも演奏会。
1979(昭和54)年
第47回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
関西学院グリークラブ80周年記念式典、祝賀パーティー開催(兵庫県農業会館大ホール)。
中島みゆきコンサート出演(神戸国際会館)。
第33回神戸新聞平和賞受賞。
関西学院グリークラブ80周年記念演奏会開催(フェスティバルホール)。
関西学院創立90周年記念式典出演(関西学院体育館)。
1980(昭和55)年
第48回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
史上最多の50名を超える新入生が入部。
林雄一郎合唱生活五十年記念演奏会出演(フェスティバルホール)。
プリンストン大学チャンバーコーラス来院歓迎会(グリークラブホール)。
1981(昭和56)年
第49回リサイタル、13年ぶりの東京公演を含む3公演(東京・日本青年館大ホール、神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
清水脩作曲「月光とピエロ」、三木稔作曲「阿波」、「グリークラブアルバム」レコーディング(北村協一指揮)。
新月会、初の海外演奏旅行で上海へ。
欧州演奏旅行(25日間)。スイス、イギリス、オーストリア、ブルガリア、ギリシャで演奏会。
ジミー・カーター前大統領を歓迎しアメリカ国歌を演奏(関西学院千刈セミナーハウス)。
関西学院グリークラブ八十年史完成。朝日新聞「栄光の歌声80年」と掲載。
1982(昭和57)年
第50回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。平吉毅州作曲「さすらいの船路」委嘱初演。
第31回東西四大学合唱演奏会で青島広志作曲「ギルガメシュ叙事詩<前編>」委嘱初演(フェスティバルホール)。
平吉毅州作曲「さすらいの船路」、多田武彦作曲「在りし日の歌」、青島広志作曲「ギルガメシュ叙事詩」、清水脩作曲「日本民謡」レコーディング。(北村協一指揮)。
ハーバードグリークラブと15年ぶり3回目のジョイントコンサート開催(西宮市民会館)。
1983(昭和58)年
第51回リサイタル開催(新宿文化センター大ホール/神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
第32回東西四大学合唱演奏会で青島広志作曲「ギルガメシュ叙事詩<後編>」委嘱初演(東京文化会館大ホール)。
多田武彦作曲「尾崎喜八の詩から」、青島広志作曲「ギルガメシュ叙事詩」レコーディング(北村協一指揮)。
1984(昭和59)年
第52回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)、150人での大合唱。
多田武彦作曲「富士山」、青島広志作曲「マザーグースの歌」レコーディング(北村協一指揮)。
第33回東西四大学合唱演奏会で新実徳英作曲「鐘の音を聴け」委嘱初演(フェスティバルホール)。
欧州演奏旅行(28日間)。アバディーン(イギリス)にて国際青少年音楽祭参加。パリ・ノートルダム寺院では日本の団体として初演奏。ベッツィンゲン(ドイツ)では村をあげての歓迎を受け、友好深まる。
第18回関西学院グリークラブフェスティバル、初めてザ・シンフォニーホールで開催。
1985(昭和60)年
第53回リサイタル開催(昭和女子大学人見記念講堂/神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。青島広志作曲「11ぴきのネコ」(男声版)委嘱初演。
新月会50周年記念事業でグリークラブの愛唱曲集「Old Kwansei」発行。
「関西学院の歌」レコーディング、NHK-FM「たのしいコーラス」にて多田武彦作曲「蛙・第二」レコーディング(北村協一指揮)。
新月会五十周年記念演奏会出演(ザ・シンフォニーホール)。
1986(昭和61)年
第54回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
米国演奏旅行(19日間)。ハーバード・グリークラブが開催する米国大学音楽協議会の特別ゲストで演奏。
ブラウン大コーラス来日。甲南女子大学コーラス部と3団体でジョイントコンサート(芦屋ルナホール)。
1987(昭和62)年
第55回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。源田俊一郎編曲「Man Of La Mancha」を初演。
広瀬康夫(1980年卒OB)指揮者として指導を開始、後に技術顧問に就任、現在に至る。
大阪フィルハーモニー交響楽団創立40周年記念マーラー作曲交響曲第2番「復活」出演(ザ・シンフォニーホール、朝比奈隆指揮)。
第35回東西四大学合唱演奏会、初めてサントリーホールで開催、昼夜2公演。
第14回関西六大学合唱演奏会でブルックナー作曲「HELGOLAND」を朝比奈隆指揮で日本初演(フェスティバルホール)。
1988(昭和63)年
第56回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
毎年続ける演奏旅行で広島、福岡、山口、愛媛、神奈川、愛知へ。横浜国立大学グ リークラブとのJoint Concertが30回目を数える(神奈川県立音楽堂)。
1989(昭和64平成元)年
第57回リサイタル、4年ぶりに東京公演含む3都市開催(昭和女子大学人見記念講堂/神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。ウィーン楽友協会招聘記念ステージで「REQUIEM in d-moll」(L.Cherubini作曲)を北村協一指揮で演奏。
欧州演奏旅行(18日間)。ドイツ、オーストリア、クロアチアへ。ウィーン楽友協会大ホールで演奏会。ザグレブのクロアチア音楽院で「U Boj!」里帰り演奏。
関西学院グリークラブ90周年記念演奏会開催(フェスティバルホール)。
関西学院創立100周年記念式典(関西学院中央講堂)出演、100周年記念同窓会総会(宝塚大劇場)では宝塚歌劇団と共演。
関西学院クリスマス音楽礼拝、恒例の中央講堂に加えザ・シンフォニーホールでも開催。以後現在まで続く。
1990(平成2)年
第58回リサイタル開催(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
青島広志作曲「ギルガメシュ叙事詩<後編>」レコーディング(北村協一指揮)。
林雄一郎合唱生活60年記念演奏会出演(フェスティバルホール)。19団体1,000人が出演。
大阪フィルハーモニー交響楽団第252回定期演奏会賛助出演。ベルリオーズ作曲「ファウストのごう罰」を若杉弘指揮で演奏。(フェスティバルホール)。
関西学院逍遥歌「四季有情」レコーディング。
1991(平成3)年
第59回リサイタル開催(昭和女子大学人見記念講堂/神戸国際会館/フェスティバルホール)。指揮者として広瀬康夫が加わる。
東西四大学合唱演奏会、40回を記念して史上初の東阪2公演(フェスティバルホール/東京文化会館大ホール)。
北村協一バースデーコンサート「AROUND」出演(東京芸術劇場)。
1992(平成4)年
第60回リサイタル開催(神戸文化ホール/フェスティバルホール)。ラテン語、英語、ドイツ語、フランス語、日本語と5か国語が並ぶ意欲的なステージ。
米国演奏旅行(18日間)。ボストンシンフォニーホール、ニューヨークリンカンセンター等で演奏。
ザグレブフィルハーモニー管弦楽団来日公演で大野和士指揮により「U Boj!」共演(ザ・シンフォニーホール)。
関西学院同窓会高槻支部主催「関西学院グリークラブコンサート」出演(高槻文化ホール)、現在まで続く。
1993(平成5)年
第61回リサイタル開催(昭和女子大学人見記念講堂/神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
多田武彦作曲「雪国にて」レコーディング(北村協一指揮)。
1994(平成6)年
第62回リサイタル開催(神戸文化ホール/フェスティバルホール)。ラテン語、マジャール語、フランス語、英語、日本語の5か国語のステージ。
新月会60周年記念演奏会出演(ザ・シンフォニーホール)。
1995(平成7)年
第63回リサイタル東京公演(昭和女子大学人見記念講堂)翌々日の1月17日、阪神淡路大震災が発生、部員1名が下宿倒壊により犠牲となる。大阪公演は1月から3月へ延期し学内(関西学院中央講堂)で開催、追悼演奏を行う。予定していた欧州演奏旅行を中止。ベッツィンゲンより多額の義援金が送られる。
1996(平成8)年
第64回リサイタル開催、神戸公演で震災犠牲者追悼演奏(神戸文化ホール大ホール/フェスティバルホール)。
イェール大学グリークラブ来日。武庫川女子大学コーラス部と3団でジョイントコンサート開催(武庫川女子大学公江記念講堂)。
第29回関西学院グリークラブフェスティバル、初めてキャンパス内で開催。被災した近隣住民を招待(関 西学院高中部礼拝堂)。
1997(平成9)年
第65回リサイタル開催(昭和女子大学人見記念講堂/フェスティバルホール)。大阪公演は初めてザ・シンフォニーホールで開催。新月会との合同ステージを設け北村協一指揮で「さすらう若人の歌」(G.Mahler作曲、福永陽一郎編曲)を演奏。同ステージは現在まで続く。
欧州演奏旅行(10日間)。ドイツ、オランダで演奏会。ケルン大聖堂で演奏、ベッツィンゲン演奏会では義援金のお礼。
1998(平成10)年
第66回リサイタル開催(ザ・シンフォニーホール)。
上沼恵美子コンサート’98にコーラスで2日間出演(フェスティバルホール)、以後も複数回出演。
ベートーヴェン「第九」日本初演80年記念で、初演再現演奏会に出演(鳴門市ドイツ村)。
1999(平成11)年
第67回リサイタル開催(昭和女子大学人見記念講堂/フェスティバルホール)。
ペンシルベニア大学グリークラブ来日、ジョイントコンサートを開催(関西学院高中部礼拝堂)。
関西学院グリークラブ100周年記念フェスティバル開催(神戸ポートピアホール)。グリークラブファミリーで100周年を盛大に祝う。
2000(平成12)年
関西学院グリークラブ100周年記念リサイタル開催(東京オペラシティコンサートホール/フェスティバルホール)。太田務が指揮者に加わる。
林雄一郎合唱生活70年記念演奏会出演。同氏の引退公演(フェスティバルホール)。
関西学院グリークラブ資料館(ハウス・ベッツィンゲン)竣工。ベッツィンゲン村長などを招き竣工式。
2001(平成13)年
第69回リサイタル開催(ザ・シンフォニーホール)。
A.デュオパ作曲「荘厳ミサ」、前年から続いたレコーディングが完了し世界初の全曲入りCDが完成(北村協一指揮)。
東西四大学合唱演奏会、50回目の開催を迎える(東京・昭和女子大学人見記念講堂)。
北村協一バースデーコンサート「FACE」出演。合同ステージで多田武彦作曲「遠い母に」初演(東京芸術劇場)。
第56回関西合唱コンクールに出場、コンクール出場は実に37年ぶり。金賞受賞も2位で全国大会出場ならず(池田市民文化会館アゼリアホール)。
2002(平成14)年
第70回リサイタル開催(ザ・シンフォニーホール)。
多田武彦作曲「富士山」レコーディング(北村協一指揮)。
ダートマス大学チェンバーシンガーズを迎えてジョイントコンサート開催(関西学院高中部礼拝堂)。
2003(平成15)年
第71回リサイタル開催(昭和女子大学人見記念講堂/ザ・シンフォニーホール)。広瀬康夫指揮 によりバーバーショップスタイルのステージに本格的に挑戦。大阪公演では北村協一指揮による合同演奏である多田武彦作曲「草野心平の詩から」に高等部グリークラブも出演。
多田武彦作曲「草野心平の詩から」レコーディング(北村協一指揮)。
欧州演奏旅行(10日間)。デュオパがオルガニストを務めたフランス・アラスの教会で同氏作曲「荘厳ミサ」演奏。ドイツ・ベッツィンゲンに交流を記念したグリークラブ通りの標識設置される。
杉原左右一教授、顧問就任。
2004(平成16)年
第72回リサイタル開催(東京・ゆうぽうと簡易保険ホール/ザ・シンフォニーホール)。
多田武彦作曲「わがふるき日のうた」レコーディング(北村協一指揮)。
新月会70周年記念演奏会出演(ザ・シンフォニーホール)。
林雄一郎名誉技術顧問、新月会会長逝去。偲ぶ会を開催(関西学院高中部礼拝堂)。
東京新月会主催「オール関西学院グリークラブ」出演(東京・第一生命ホール)。
2005(平成17)年
第73回リサイタル開催(ザ・シンフォニーホール)。
髙田三郎作曲「水のいのち」レコーディング(北村協一指揮)。
夏の演奏旅行、恒例の横浜国立大学グリーとの交歓演奏会に加え、立教大学グリーともジョイントコンサート。
林雄一郎追悼演奏会開催(関西学院中央講堂)。
5か年計画「Challenge of K.G. Glee Club」策定し新月会会員に資金支援を依頼。達成目標は①部員80名に倍増②部員の費用負担半減③演奏活動充実④組織体制見直し。翌年からプロジェクトが開始。
2006(平成18)年
第74回リサイタル開催(ザ・シンフォニーホール)。合同演奏の多田武彦作曲「雨」は、北村協一指揮による最後のステージとなる。
北村協一技術顧問逝去。東京、兵庫で新月会などとお別れの会、追悼礼拝を開催(聖イグナチオ教会主聖堂/関西学院高中部礼拝堂)。
専属マネージャー導入。初の女子部員誕生。
新月会70周年記念事業でグリークラブホールをリニューアル。
5年ぶりにコンクール出場。第61回関西合唱コンクールで金賞ならびに全部門を通じての最高賞である全日本合唱連盟理事長賞を受賞。(伊丹市立文化会館いたみホール)
第59回全日本合唱コンクールで金賞受賞(熊本県立劇場コンサートホール)。全国大会出場は42年ぶり。
2007(平成19)年
第75回リサイタル、兵庫県立芸術文化センター大ホールて初めて開催。
北村協一追悼演奏会「Love。」出演(すみだトリフォニーホール大ホール)。
インドネシアのサティヤ・ワチャナ・キリスト教大VICE of SWCUコンサートに友情出演(関西学院会館レセプションホール)。
第60回全日本合唱コンクール銅賞受賞(東京文化会館大ホール)。
2008(平成20)年
第76回リサイタル開催(兵庫県立芸術文化センター大ホール)。
クロアチア共和国大使館特命全権大使来院。歓迎記念式典で演奏(関西学院中央講堂)。
バーバーショップチャンピオンカルテットVocal Spectrumを迎えフェスティバル開催、交流を深める(関西学院会館レセプションホール)。
第40回グリークラブフェスティバルで駐日クロアチア大使と共に「ウボイ」合唱(関西学院高中部礼拝堂)。
ラトビアのヴォーカルグループCOSMOS来日公演に友情出演(宝塚ベガ・ホール)。
兵庫県立芸術文化センター主催「ジルヴェスター・ガラ・コンサート」出演。
2009(平成21)年
高等部グリークラブファミリーコンサートに大学グリー出演(伊丹市立文化会館いたみホール)。
第77回リサイタル開催(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
大学より強化指定クラブに選定される。本山秀毅(合唱指揮者)、小貫岩夫(ヴォイストレーナー)を招聘して指導を受け、現在に至る。
関西学院グリークラブ110周年記念フェスティバル開催(関西学院高中部礼拝堂)。
第60回関西合唱コンクールで金賞受賞、全部門を通じての最高賞である全日本合唱連盟理事長賞受賞(伊丹市立文化会館いたみホール)。
第62回全日本合唱コンクール全国大会銅賞受賞(札幌コンサートホールKitara大ホール)。
2010(平成22)年
110周年記念第78回リサイタル開催(東京・大田区民ホールアプリコ大ホール/兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
クロアチア大使・リエカ大学学長来院 記念演奏会開催(関西学院大学ランバス記念礼拝堂)。
第63回全日本合唱コンクール金賞受賞。コンクール復帰後初の部門最高賞受賞(兵庫県立芸術文化センター大ホール)。
2011(平成23)年
第79回リサイタル開催(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
東日本大震災支援のためのチャリティコンサートに多数出演。
第42回関西学院グリークラブフェスティバル合同演奏では、復興への願いを込めて広瀬康夫指揮で「東日本・五つの民謡」を演奏(関西学院高中部礼拝堂)。
第64回全日本合唱コンクール金賞受賞(青森市文化会館大ホール)。翌日、東日本大震災被災地の岩手県の教会でボランティアコンサート開催。
2012(平成24)年
第80回リサイタル開催(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
中学部共学化に伴い、中学部グリークラブに女子部員入部。
朝日放送、毎日放送、NHKなどのテレビ番組への出演が相次ぐ。
第61回東西四大学合唱演奏会、兵庫県では初開催(武庫川女子大学公江記念講堂)。
第65回全日本合唱コンクール金賞、部門最高賞受賞(富山市芸術文化ホール オーバードホール)。
2013(平成25)年
第81回リサイタル開催(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
「中央講堂感謝の集い」出演。かつて部室があり練習場でもあった中央講堂の建て替えを前に最後の演奏。
原田の森の神戸文学館(元関西学院・ブランチ・メモリアル・チャペル)で里帰り演奏会、現在まで続く。
第66回全日本合唱コンクール金賞受賞(千葉県文化会館大ホール)。
2014(平成26)年
関西学院創立125周年記念第82回関西学院グリークラブリサイタル開催(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
嶺重淑教授、顧問就任。
関西学院創立125周年。記念式典(記念事業で建て替えられた関西学院中央講堂)、記 念音楽祭(建て替え後フェスティバルホール)等に出演。
新月会80周年記念演奏会に出演(フェスティバルホール)。
第67回全日本合唱コンクール金賞受賞(香川県県民ホールアルファあなぶきホール)。
2015(平成27)年
第83回リサイタル開催(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
関西学院大学アメリカンフットボール部のプリンストン大戦で両校校歌を演奏(長居球技場キンチョウスタジアム)。
関西学院高等部共学化に伴い、高等部グリークラブに女子部員入部。
全日本男声合唱フェスティバルに初出演。全日本合唱連盟理事長賞受賞(京都コンサートホール大ホール)。
関西合唱連盟より長井賞受賞(2度目)。
第68回全日本合唱コンクールで金賞受賞(長崎ブリックホール大ホール)。
2016(平成28)年
第84回リサイタル開催(東京・すみだトリフォニーホール大ホール/兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。東京公演は6年ぶりの開催。
ラトビアのリガ女声合唱団、ハーバード大The Harverd Din&Tonics両来日公演に友情出演、交流を深める。
第69回全日本合唱コンクールで金賞、部門最高賞受賞(とりぎん文化会館大ホール)。
2017(平成29)年
震災チャリティコンサートで同窓のジャズピアニスト大江千里と校歌「空の翼」共演(兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホール)。
第85回リサイタル開催(フェスティバルホール)。フェスティバルホールでのリサイタル開催は17年ぶり、建て替え後は初。
スウェーデンのバーバーショップカルテットRingmastersをキャンパスに招き講習を受ける(関西学院会館)。
全日本合唱連盟70周年記念コンサートに大学合唱団および男声合唱団を代表して出演(浜離宮朝日ホール)。
宗教改革500年記念礼拝で演奏(関西学院ランバス記念礼拝堂)。
第70回全日本合唱コンクールで金賞受賞(東京芸術劇場コンサートホール)。
2018(平成30)年
関西学院ウィメンズ・グリークラブ(大学女声合唱団)誕生。
第86回リサイタル開催(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
第九アジア初演100周年記念 よみがえる「第九」演奏会に出演、日本初演を再現すべく男声合唱で演奏(鳴門市ドイツ館前広場)。
ハーバード大学Din&Tonics、スウェーデンの男声合唱団Zero 8の両来日公演で友情出演。
第71回全日本合唱コンクールで金賞、部門最高賞受賞(札幌コンサートホールKitara大ホール)。
2019(平成31
令和元)年
第87回リサイタル開催(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)。
グリークラブ120周年とウボイ伝承100周年を記念し、クラブ誕生・ウボイ初演の地原田の森に植樹、プレートを設置(神戸文学館)。
関西学院グリークラブ120周年記念フェスティバル開催(関西学院中央講堂)。
関西学院博物館でグリークラブ120周年記念展示。
第72回全日本合唱コンクールで金賞受賞。10年連続金賞を達成、表彰を受ける(ロームシアター京都メインホール)。
2020(令和2)年
120周年記念リサイタルを開催(すみだトリフォニーホール大ホール/兵庫県立芸術文化センター大ホール)。
新型コロナウィルス感染症拡大の影響により3 月から11月まで対面活動の中止を余儀なくされ、オンラインのみで活動を継続する。
2021(令和3)年
第89回関西学院グリークラブリサイタル、感染症拡大の影響によりマスク着用での演奏、初となるオンラインでの同時配信形式で 開催。
第50回関西学院グリークラブフェスティバル、オンラインでの後日配信形式で開催。